「姫路市」の検索結果 (10件)

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北平野 (姫路市)
北平野(きたひらの)は兵庫県姫路市の町名。北平野1丁目から6丁目までに分かれる。郵便番号670-0893。 本記事では北平野から分かれた以下の町についても解説する。 北平野南の町(きたひらのみなみのちょう):郵便番号670-0887 北平野奥垣内(きたひらのおくがいち):郵便番号670-0892 北平野台町(きたひらのだいちょう):郵便番号670-0895 各町とも住居表示実施済み。
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南町 (姫路市)
内町(うちまち)は、兵庫県姫路市の中心部を指す地域名。おおむね姫路城の外曲輪の範囲内にある旧町人地・中下級武士の居住区を指し、地域名も外堀の内側に由来するが、行政上の地名ではない。 南部は姫路市立白鷺小中学校の校区、東部は姫路市立城東小学校の校区、北部は姫路市立野里小学校の校区、南西部の一部は姫路市立船場小学校の校区に属する。内町という地域区分は歴史的な区分であり、小学校の校区名(白鷺校区(あるいは統合前の城南校区、城巽校区)など)で分類される事が多い。 内町に対して、その外側に広がる町を外町(そとまち)と称し、それらに含まれる町を合わせて姫路78町と呼ばれた。内町・外町を総称して姫路町と称する。本項では南に隣接する地区である飾万津口(しかまづぐち)についても解説する。また、外町のうち、北に隣接する野里(のざと)のうち姫路城外曲輪に含まれる町丁も示す。野里および東に隣接する神谷(かみや)、
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圓教寺_(姫路市)
圓教寺(円教寺、えんぎょうじ)は、兵庫県姫路市書写にある天台宗の別格本山の寺院。山号は書寫山(書写山)。本尊は釈迦三尊。西国三十三所第27番札所。 宗教法人としての名称は常用漢字体の「円教寺」である。長吏の号は後白河法皇より賜った。 札所本尊真言:おん ばらだ はんどめい うん ご詠歌:はるばると登れば書寫の山おろし 松のひびきも御法(みのり)なるらん
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姫路市
姫路市(ひめじし)は、兵庫県の南西部(播磨地方)に位置する市。播磨圏域の中心都市である。また周辺自治体を含め、2015年時点で773,389人の姫路都市圏を形成する(2020年国勢調査速報値では756,946人)。中核市及び国際会議観光都市に指定されている。中播磨県民センターの管轄。
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姫路市歌
「姫路市歌」(ひめじしか)は、兵庫県姫路市が1949年(昭和24年)に制定した市歌である。作詞・河西新太郎、作曲・須藤五郎。 本項では、姫路市に編入された町村が制定していた町村歌についても併せて解説する。
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本町_(姫路市)
本町(ほんまち)は兵庫県姫路市中心部の町名。郵便番号670-0012。 ここでは本町より分割された総社本町(そうしゃほんまち:郵便番号670-0015)についても解説する。
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法華寺 (姫路市五軒邸)
法華寺(ほっけじ)は、兵庫県姫路市五軒邸にある日蓮宗の寺院で山号は大乗山。通称六条門流播磨本山。旧本山は京都市の大本山本圀寺(六条門流)、親師法縁・筵師法縁。境内には寛延年間(1748年 - 1751年)の市川大洪水による溺死者供養塔(姫路市指定史跡)がある。
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神田町 (姫路市)
船場(せんば)は、兵庫県姫路市の中心部西部を指す地域名。姫路城の西側にある旧町人地・中下級武士の居住区およびその周囲の田畑が宅地化された地域であり、姫路市立船場小学校の校区東部および姫路市立城西小学校の校区南部を指す。 姫路城外曲輪内の内町に対して、その外側に広がる町を外町(そとまち)と称し、船場はそのうち西側の西国街道沿いの地域である。南に隣接する地区である飾万津口(しかまづぐち)、北に隣接する野里(のざと)、東に隣接する神谷(かみや)、それらに含まれる町を合わせて姫路78町と呼ばれた。内町・外町を総称して姫路町と称する。 本項では船場に含まれないがこれらの町と隣接し特に関係が深い町についても解説する。
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福沢町_ (姫路市)
福沢町(ふくざわちょう)は、兵庫県姫路市の町名。郵便番号は670-0992。 福沢町は姫路市のうち船場地区に属する。市街地中心の船場川西岸にあり、東に船場川を挟んで北東角に十二所前町、その南に忍町と久保町、南東角で高尾町、南で千代田町、西に南から神田町と花影町、北に西から東雲町と博労町と接する。 池田輝政による築城以前は、福中と呼ばれる地域のうち後に内町(外曲輪内)に属する部分を「上福中」、後の外曲輪外となる部分を「下福中」と称した。築城後は上福中を福中町、下福中を福中村と呼んだ。 1889年(明治22年)に姫路に市制が施行された際に福中村はその名前のまま姫路市に編入される。同時に隣接する豊沢村のうち字柳茶屋も姫路市へ編入され、1912年(明治45年)4月に豊沢村が姫路市へ分割編入された際に福中村と豊沢村字柳茶屋とを合併して、その一字ずつ取って福沢町と称した。 1984年(昭和59年)には
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鍵町 (姫路市)
野里(のざと)は、兵庫県姫路市の地域名、および現行の町名。 『播磨国風土記』に記される大野里(おおののさと、のち大野郷ともいう)の後身である、市川西部の地域名。 1.のうち、17世紀初頭の姫路城改修までに町場化した区域。1889年(明治22年)の市制施行時から姫路市に含まれる町丁のうち、姫路城の北側に伸びる野里街道沿いの各町(以下、野里(町場))。外曲輪内の内町、西の船場、東の神谷(南の飾磨津口を含む場合もある)と併せて姫路町と称した。 1.のうち、2.に含まれなかった野里村(のざとむら、埜里村ともいう)。1889年(明治22年)~1934年(昭和9年)まで水上村野里、以後は姫路市野里。 3.のうち、一部の区域を1995年(平成7年)に分離した後の現行町名である野里(以下、野里 (町丁))。一部を除き姫路市立水上小学校の校区。 姫路市立野里小学校の校区。2.と野里(町丁)から分離した町、お
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