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大垣市
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大垣市(おおがきし)は、岐阜県の西濃地方に位置する市。1918年(大正7年)市制施行。 大垣市は、岐阜県の濃尾平野北西部に位置する。自称日本列島の一番「ど真ん中」にある都市としている。岐阜県では県庁所在地の岐阜市に次いで2番目の人口である。 上石津地域自治区 (123.38km²) 及び墨俣地域自治区 (3.39km²) は、大垣市中心部とは他自治体を挟んで離れており、飛地となっている。平成の大合併以前の旧大垣市の面積 (79.75km²) より、飛地として加わった旧上石津町・旧墨俣町の合計面積が大きく上回っている。このような大規模な飛地のある自治体は日本でも数えるほどしかない。 揖斐川や長良川など多くの一級河川が流れる水郷地帯であり、輪中堤が形成され、ガマと呼ばれる扇状地末端の自然湧水が輪中内の用水として利用された。また中山道や美濃路といった旧街道が通り、市内には中山道赤坂宿、美濃路大垣
文殊寺_(大垣市)
文殊寺(もんじゅじ)は、岐阜県大垣市錦町にある高野山真言宗の寺院である。山号は白光山。大垣藩ゆかりの寺院であり、大垣城の鬼門の位置に立っている。西美濃三十三霊場29番札所。 大垣藩の藩祖戸田一西が武蔵国鯨井の領主であったときに懇意となった瀧澤小源太という武士が、その後出家して僧となり、近江国大津に移って弥勒院という寺で秀賢を名乗っていた。戸田氏西が近江国膳所に移封された際に再会し、以降住職一族と戸田家の関係が続いていくこととなる。元和3年(1617年)に戸田氏鉄が膳所藩から尼崎藩へ移封されると、秀賢の子で弥勒院2世の秀尊も尼崎へ移り、そこにあって廃れていた般若寺の住持となって戸田家に仕えた。さらに寛永12年(1635年)、戸田家が尼崎藩から大垣藩へ転封すると秀尊もそれに従って移り住んだ。その後、秀尊の長男の正盛は岐阜町に文殊院を構え、大垣藩の修験道の総取締に任ぜられた。宝暦6年(1756年