臼杵城
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生没年不詳
臼杵城(うすきじょう)は、大分県臼杵市にあった日本の城。城跡は国の史跡に指定されている。戦国時代、大友宗麟により臼杵城の前身となる「丹生島城(にうじまじょう)」が築かれ、大友氏の拠点となった。江戸時代には臼杵藩の藩庁が置かれた。 丹生島は北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟の陸地でつながるのみという天然の要害をなしていた。「丹生」とは丹(に、鉱物の辰砂)が採取される土地を指し、丹生島とは「金属鉱石の産出する島」という意味である。大友義鎮(宗麟)は、この島一つを城郭化して干潟を干拓して城下を形成した。 城には3重4階の天守と31基の櫓が上げられた。総二階造り(上下階の平面が同規模)の重箱櫓と呼ばれる形状をした二重櫓が特徴的であった。廃藩後は天守以下建物は一部を残し取り壊され、周囲の海も埋め立てられた。現在、城郭主要部は都市公園として整備され、石垣、空堀が残る。また、二の丸に畳櫓が、
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![]() (大分県) | |
|---|---|
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大手門公園側 | |
| 別名 | 丹生島城、巨亀城、金亀城、亀城 |
| 城郭構造 | 連郭式平山城(海城) |
| 天守構造 | 複合式望楼型3層4階(1601年築 非現存) |
| 築城主 | 大友宗麟 |
| 築城年 | 永禄5年(1562年) |
| 主な城主 | 大友氏、福原氏、太田氏、稲葉氏 |
| 廃城年 | 明治6年(1873年) |
| 遺構 | 曲輪、畳櫓、卯寅口門脇櫓、石垣、空堀、堀 |
| 指定文化財 | 国の史跡「臼杵城跡」 |
| 再建造物 | 大門櫓 |
| 位置 | 北緯33度7分18.59秒 東経131度48分14.77秒 / 北緯33.1218306度 東経131.8041028度 |
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