白岩満教
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生没年不詳

白岩 満教(しらいわ みつよし)は、室町時代後期の武将。白岩氏4代当主。 寒河江大江氏宗家・出羽吉川氏・吉川元家の次男として誕生。 当初溝延氏に養嗣子として入ったとされるが、重要性の高まった白岩氏に移り、白岩城の増強を行ったという。溝延氏には寒河江氏から孝満が入り実権は家臣の安孫子氏が握った。 溝延氏と連携しながら寒河江荘内での影響力を強め、応仁2年(1468年)に寒河江氏の干渉なしに陸奥国の国分河内守に渡置状を発給し、文明4年(1472年)山王社 (現:宮内日枝神社)の別当を務める慈恩寺梅本坊に対して熱塩郷(現:寒河江市宮内あるいは西川町睦合)1400苅を寄進した。山王社の由来を記した『山号白岩山養水寺、善行院』によれば、満教とその子・満広(頼広)が用水を切り開き、用水の堰の上に山王社を祀って郷の鎮守としたという。 文明10年(1478年)周防闢雲(びゃくうん)寺で覚隠永本に師事し出羽に

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白岩満教
時代 室町時代後期
生誕 不明
死没 不明
改名 吉川満教→溝延満教→白岩満教
別名 白莖、英叟、入道賢良、八郎四郎
官位 備前守
主君 寒河江為広知広宗広孝広
氏族 大江氏親広出羽吉川氏溝延氏白岩氏
父母 吉川元家
白岩広茂
兄弟 吉川教広、金蔵院、満教
蔵増氏
満広広次

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