畠山稙元
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生没年不詳

畠山 稙元(はたけやま たねもと)は、戦国時代の武将。中務少輔流畠山氏の当主。 畠山順光の息子として誕生。生年は定かではないが、足利義稙の偏諱を受けていることから判断すると、兄弟の維広より年長だったとみられる。 永正15年(1518年)頃以降、義稙に仕えるようになったとみられる。また、畠山材堅(中務少輔)の養子となった。 永正18年(1521年)3月、義稙が京都から出奔すると、養父の材堅が京都に残った一方、稙元は順光と義稙に付き従っている。 大永7年(1527年)1月、順光が殺害されたのちも、稙元は足利義維(義稙の養子)に仕えている。 2月、義維・細川晴元方が足利義晴・細川高国方を桂川の戦いで打ち破ると、その直後に入京した人物らの中に中務少輔稙元の名がみえる(『実隆公記』)。 享禄から天文年間にかけて、義晴と義維の兄弟の争いの中で、奉公衆の寝返りが双方の陣営でみられるようになった。弟の維広

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畠山 稙元
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 通称:七郎
官位 中務少輔上野介
幕府 室町幕府 申次衆御供衆
主君 足利義維義晴
氏族 畠山氏(入名字)
父母 父:畠山順光、母:不詳
養父:畠山材堅
兄弟 稙元維広
不詳
昭清?

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