怕尼芝
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生没年不詳
怕尼芝(はにじ)は、14世紀琉球の後北山王国(後山北王国)の初代国王。英祖王統初代英祖の次男の湧川王子の曾孫。父は湧川按司一世の次男の湧川按司二世。 親川城を拠点に沖縄本島北部の羽地(現在の名護市北西部)に勢力を築き、兼次(はにし)按司と称した。名の怕尼芝は、羽地の当て字と考えられている。 「おもろさうし」によれば、1322年に父の湧川按司二世の兄で今帰仁城を統治していた今帰仁按司一世の長男の仲昔今帰仁按司丘春の長男で怕尼芝にとっては従兄弟の子にあたる今帰仁仲宗根若按司を破り、自ら北山王(後北山王)を自称し北山王国(怕尼芝王統)を建国し、以後は今帰仁城を本拠とした。 明実録では1383年1月、明の永楽帝が琉球諸王国間の停戦の奉勅を下し、あわせて朝貢を命じた。これに応じて同年12月に進貢する。以後、1384年・1385年・1388年(2回)・1390年の朝貢の記録がある。1385年には駝紐鍍
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