孫興進
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生没年不詳

孫 興進(そん こうしん、生没年不詳)は、中国唐代の官吏である。 「内使掖庭令」の趙宝英とともに、第16次遣唐使に随行した判官4名のうちの一人で、趙宝英が遣唐副使の小野石根とともに海の藻屑と消えてからの唐の返礼使の代表者として、宝亀10年(779年)4月、京に入った。朝廷は将軍らが騎兵200名、蝦夷20人を率いて、京城の門外の三橋で接見している。 この時の唐使来日は、632年の高表仁以来の150年ぶりの出来事であり、日本にとって予期せぬ出来事であり、朝廷はその対応に右往左往することになる。入京以前に、唐使側は、行列の左右に旗を立てて、亦仗(武器)を帯び、行官が旗の前後に立てることを要求し、大宰府に派遣されていた領唐客使らは前例がないとして、朝廷に判断を仰ぐべく奏上した。朝廷は仗を帯びることは認めたが、旗を立てることは許さなかった。また領唐客使らは、過去の遣唐押使の粟田真人の例、新羅の朝貢使

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