伊那郡
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生没年不詳
伊那郡(いなぐん)は、長野県(信濃国)にあった郡。 現在の飯田市、伊那市、駒ヶ根市、上伊那郡、下伊那郡にあたるが、行政区画として画定されたものではない。 面積は信濃国内の郡で最大であった。 郡衙の位置は飯田市座光寺(恒川遺跡群)と推定されている。 和名類聚抄に見える郷名は伴野、小村、麻続、福智、輔衆と記述されている一方、中世以降、伊那郡に所属したと比定される佐補、美和、弖良は諏訪郡に記載されている。また諏訪大明神絵詞には「信州に至り給し時、伊那郡と諏訪郡の堺に大田切と云所にて」との記述があり、また『修補諏訪氏系図』には「近代迄伊那郡に於ける北部にして諏訪郡に接続せる村里を外の諏訪郡と呼称せしことあり」と記述されていることから、古代においては大田切川以北は諏訪郡に含まれていたことが推察される。 764年(天平宝字8年)、藤原仲麻呂の乱が起こると、伊那郡の大領(郡司の長)金刺八麻呂が孝謙上皇方
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