イタリア領エリトリア
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生没年不詳
エリトリア植民地(エリトリアしょくみんち、イタリア語: Colonia Eritrea)は、イタリア王国が現在のエリトリアに持っていた植民地である。1869年にルバッティーノ海運会社がアッサブを購入したことがイタリアの最初の進出となり、1882年には政府の管理下に置かれた。1885年にマッサワを占領して以降徐々に領土を拡大していき、1889年にはウッチャリ条約でエチオピア帝国との国境が定められた。そして、1890年にはエリトリア植民地が正式に設立された。 1936年、この地域はエリトリア総督府としてイタリア領東アフリカに統合された。この状態は、1941年に第二次世界大戦の東アフリカ戦線でイタリアがこの地域を失うまで続いた。その後イタリア領エリトリアはイギリス軍の統治下に置かれ、1951年には国際連合の監督下に置かれた。1952年9月にエチオピアの自治領となり、1991年に独立した。
| エリトリア植民地 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| Colonia Eritrea | |||||
|
1930年のエリトリア | |||||
| 公用語 | イタリア語 | ||||
| 言語 | ティグリニャ語、ティグレ語、サホ語、ビリン語、アラビア語ヒジャーズ方言 | ||||
| 宗教 |
カトリック 東方正教 イスラム教 | ||||
| 首都 | アスマラ | ||||
| 国王 | |||||
| 1882年 - 1900年 | ウンベルト1世 | ||||
| 1900年 - 1936年 | ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 | ||||
| 総督 | |||||
| 1890年 - 1890年 | バルダッサーレ・オレロ | ||||
| 1935年 - 1936年 | ピエトロ・バドリオ | ||||
| 変遷 | |||||
| アッサブ購入 | 1869年11月15日 | ||||
| 政府の管理下に | 1882年2月5日 | ||||
| ウッチャリ条約 | 1889年5月2日 | ||||
| エリトリア植民地設立 | 1890年1月1日 | ||||
| イタリア領東アフリカの一部に | 1936年6月1日 | ||||
| イギリスによる支配 | 1941年5月19日 | ||||
| イタリアが放棄 | 1947年2月10日 | ||||
| イギリス支配の終了 | 1952年9月15日 | ||||
| 通貨 |
エリトリア・タレーロ (1890年 - 1921年) イタリア・リラ (1921年 - 1936年) | ||||
| 現在 |
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